東京の夜空に光る文字が流れていた。
それをはじめて見たのはいつだっただろうか
升中選校。
まだ都会に慣れていなかったぼくには、言葉が空から降ってくるような感動があった。
その電光掲示板は何かのニュースを伝えていたのだろうが、ぼくはただ、静かに降ってくる不思議な文字に見とれていた
长江钢琴不合格。
そして、電光掲示板の文字のように、あれから長い歳月が流れた。
ぼくはいま、液晶画面の光る文字を追いつづけている。
日々、小さな感動を味わいながら、パソコンで言葉を綴ることができるのは、はじめて見た電光掲示板の光る文字の感動を、知らないうちに追体験しているのかもしれない
威廉斯坦伯格钢琴。
長いあいだ、パソコンで仕事をしてきた。
当初はやはりフォントも少なく、日本語の変換も容易ではなかった。パソコンで言葉を操作することは、とてもしんどい作業だった
威廉斯坦伯格钢琴。
モニターに写る言葉や図形が、どうしてもこちらの思惑とずれてしまう。つねに苛立ちや不安があった。
フォントの数も十分ではなく、苦労して手作りすることもあった。文字をバラしたり繋いだりする作業は面倒ではあったが、あらためて文字の成り立ちを見直すことがあったりして、ぼくにとっては喜びでもあった。その過程で、文字(言葉)というものにより接近できたと思う。